「痞」という病いからの―水俣誌々〈パート2〉
本, 最首 悟
「痞」という病いからの―水俣誌々〈パート2〉 は 最首 悟 によって作成されました 各コピー0で販売されました. Le livre publié par どうぶつ社 (2010/02). Il contient 341ページ pages et classé dans le genre genre. Ce livre a une bonne réponse du lecteur, il a la cote 3.7 des lecteurs 1. Inscrivez-vous maintenant pour accéder à des milliers de livres disponibles pour téléchargement gratuit. L'inscription était gratuite.
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「痞」という病いからの―水俣誌々〈パート2〉本無料ダウンロードpdf - 内容(「BOOK」データベースより) 水俣病は公式確認から半世紀以上も経つのに、未だ解決の見通しが立たない。どうしてそうなったのか?これを解くには政治・経済・社会的な、そして学問的な要因・問題を多角的に検討しなければならない。そして、その帰結として、根本的に軽んじられてきた“いのち”というものが見えてくるだろう。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 最首/悟 1936年福島県に生まれ、千葉県に育つ。東京大学理学部動物学科博士課程中退後、1967年同大学教養学部助手になる。1994年退職。恵泉女学園大学特任教授を経て、2003年から2007年3月まで和光大学人間関係学部人間関係学科教授。現在、和光大学名誉教授、シューレ大学、予備校講師。この間、1968年東京大学全学共闘会議助手共闘に参加。1976年12月に第一次不知火海総合学術調査団に参加、翌77年4月から実際の現地調査に参加し始める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)「痞」という病いからの―水俣誌々〈パート2〉を読んだ後、読者のコメントの下に見つけるでしょう。 参考までにご検討ください。
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「痞」という病いからの―水俣誌々〈パート2〉本無料ダウンロードpdf - 内容(「BOOK」データベースより) 水俣病は公式確認から半世紀以上も経つのに、未だ解決の見通しが立たない。どうしてそうなったのか?これを解くには政治・経済・社会的な、そして学問的な要因・問題を多角的に検討しなければならない。そして、その帰結として、根本的に軽んじられてきた“いのち”というものが見えてくるだろう。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 最首/悟 1936年福島県に生まれ、千葉県に育つ。東京大学理学部動物学科博士課程中退後、1967年同大学教養学部助手になる。1994年退職。恵泉女学園大学特任教授を経て、2003年から2007年3月まで和光大学人間関係学部人間関係学科教授。現在、和光大学名誉教授、シューレ大学、予備校講師。この間、1968年東京大学全学共闘会議助手共闘に参加。1976年12月に第一次不知火海総合学術調査団に参加、翌77年4月から実際の現地調査に参加し始める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)「痞」という病いからの―水俣誌々〈パート2〉を読んだ後、読者のコメントの下に見つけるでしょう。 参考までにご検討ください。
「痞」(ひ)という漢字をはじめてみた。どのような本かわからず、恐る恐る手に取った。ただし、読了してみると、内容は比較的短文で構成されており、決して読みにくいものではないことがよくわかる。相当周到に編集されており、好感がもてる。また、水俣病と医療行政、医(学)者の関係について一つ一つ丁寧に繰り返し説明されており、水俣病問題の入門書としても十分に役割を果たすと思われる。著者は東大全共闘に助手として参加したことで有名な人物だ。編者のあとがきによると元々うなぎの神経分泌器官の研究をする生物学者だったそうだ。また、1976年に生まれた、重度複合しょうがいをもつ四番目のお子さん、星子さんとの日々の生活から思索を深めていったことでもよく知られる。これについては『星子が居る』(世織書房1998)がある。さて、著者は星子さんの生まれた翌年に、作家の石牟礼道子さんが音頭をとるかたちで結成された「不知火海総合学術調査団」に参加する。以後水俣と継続的に何ほどかかかわりをもちつづけている。そうした長年にわたる思索をまとめた本であるから、著者の水俣論の集大成という感がある。著者は、題名に掲げられる「痞」という漢字――「はじめに」によれば「つかえたりふさがったりする病い」を指す――に新たな意味を付与する。すなわち、私たちが「否」(いな)と言うことのできない、そういう時代を指す病いとしてこの「痞」を用いたいと言うのだ。では何に対して「否」と言うのだろうか。著者は宇井純の「第三者はない」を繰り返し引き、水俣病は「私たちの病い」であることを力説するが、まさにそうした「私たちの病い」に対する「否」なのである。それに対して私たちは「否」を「言えない」と、著者は言うが、その言えないこと自体も本質的に「私たちの病い」に含まれることをおさえる必要がある。すると、「<痞>という病い」は「私たちの病い、水俣病」(本書12番目の文章の題)自体ということになる。では、「<痞>という病いからの」というときの「からの」の次には何がくるのだろうか。脱走、脱却、逃走等々いろいろと思い浮かぶが、そうたやすく言えないところに著者は意味を見いだすようである。ややこしいことを書いてしまったが、いずれにせよ、以上のような問題意識は「生きる希望」を語ったイバン・イリイチなどとも通じるものである。それはまた「おろおろ」しながらも有機農業やフェアトレード、まちおこし、その他さまざまな試みをして、現状に異議申し立てをしたいと願う若い人たちを勇気づけるはずである。題名は取っつきにくいが、イリイチがそうであるように、本書に絶望はない。「否」と言えないことを深く問う中で、「否」と言える希望が胸に高鳴ってくる。すなわち、著者が本書で幾度か引く、「目的もない僕ながら 希望は胸に高鳴ってゐた」(中原中也)が本書の通奏低音である。本書は著者の思想的到達点を表すとともに、水俣病特措法による二度目の和解がなされる現在、「私たちの病い」としての水俣病とは何かを問う好個な一冊である。なお、著者を囲んでおこなわれる塾のホームページ(最首塾 on the web)で本書の抜粋が読むことができるようだ。とりあえずそちらで本書の雰囲気をつかんでみるのも悪くはないと思う。
によって 最首 悟
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